ハンミ系統

ハンミ密教仏教学校

ハンミ系統は古代インドにて起源を発するバラモン教がその後発展し、約2400年以上前に御釈迦様に引き継がれ広まりました。

約1300年前にナーガールジュナの弟子達はインドのナランダ僧院より中国の西安まで仏教の教え広め、その教えは道教、儒教に融合していきました。

悟りを開いたマスター達はハンミ中国密教仏教学校で得た教えを途絶えること無く受け継ぎました。現在この系統を引き継いでいるのは 生き仏デェチャン ユルゲン、別名マスター ユ ティエン ジェンです。


ハンミ仏教は紀元712 – 720年の間、当時の玄宗(または宣宗)が統治する時代に3人の創設者、善無畏、金剛智、および不空金剛により確立されました。そして彼らは現在の西安市の大興山西(伝播善寺)に行き、多くの仏教経典とタントラをサンスクリット語から中国語に翻訳しました。儒教と道教の教えにハンミを融合させ教えを広め、中国の人々に広く受け入れられました。 

著名なインドの僧侶であった善無畏は大日経をサンスクリット語から中国語へと翻訳しました。

ナランダ僧院の卒業生であった金剛智は、龍樹からナーガボディへと継承された完成した得えんパワーを引き継ぎました。

シンハラ人の不空金剛は15歳で中国に渡り、718年に彼は金剛智に弟子入りし、後に善無畏の弟子となりました。大興寺で最初の灌頂-菩提-マンダラを設立した不空金剛は、唐の皇帝からダルマの教えを授かりハンミが設立されました。

732年金剛智の死去、彼の遺言により不空金剛は密教およびタントラの探求にインド、セイロンに渡り、彼は皇帝玄宗の洗礼を受け、746年に帰国します。彼は特に雨乞い、暴風の沈静化で名をあげました。 749年に帰国の許可が下りましたが、中国南部で帝国の命令により阻止されました。

756年に不空金剛は皇帝粛宗に首都に呼び戻されました。
771年まで、彼は120書を超える密教仏典を翻訳、編集に時間を費やしました。当時、瑜伽行唯識学派の繁栄はピークを迎えました。太宗皇帝の世の12年目、3代目の皇帝の統治時に、不空金剛は74年に70歳で死去しました。 彼は英知の宝庫という称号および、死後に国務大臣と、不空成就如来の称号が与えられました。

歴史的に仏教のハンミ中国密教学校は唐朝の武宗により禁止された際に消失したと考えられていました。不空金剛の最後の弟子であった恵果は空海と共に中国から日本に渡り、後に真言宗として知られる密教仏教学校を設立しました。歴史上は知られていませんが不空金剛には宗教とダルマの教えを受け継いだ他の弟子フイスがいました。彼はその後、ダルマの後継者となりました。それ以来ハンミ系統は12世紀以上に渡り、歴代のマスター達により密かに継承されてきました。 

マスター ユ ティエン ジェンはただ一人の最高位のハンミマスター で、内モンゴル赤峰市にある千年の歴史がある龍泉寺の僧侶をつとめ中国医療の医師であり、中国において生き仏とされています。

朝陽市出身のマスター ユは39歳の時、遼寧にて第48代ハンミ系統大 導師グランド マスター フイリンの導きで悟りを開きました。マスターユは過去、現在、そして未来の状況を熟慮ハンミ後継者として彼の使命を理解し中国の工場長の職を辞し100万元以上の私財を全てダルマ仏教復活のために寄贈しました。

1989年、遼寧省朝陽市の北塔の天国室で大きな発見がありました。シャリラ、仏の遺物、お経、タントラの骨遺物、ダイヤモンド、五仏五知恵、中国仏塔2塔などが発見されました。その後ハンミ曼荼羅も法門寺の納屋と陝西省のダルマ戸口寺で発見されました。これらの発見は、ハンミ仏教の復活が予知されました。

マスターフイリンは、この発見の99日後にマスター ユを発見しました。マスター ユはエンパワーを継承し 生き仏デェチャン ユルゲンは第49代目毘盧遮那仏ダルマ王となり、ハンミ密教仏教学校を継承しました。

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